はかりの歴史
・ 精度はいちばん! 天秤は「はかり」の元祖。
マヤ文明にも見られるように、人間がものをはかり始めた最初の量は時間でした。やがて道具や掘立小屋を作るようになると長さを計るようになり、同時に食糧を見積るために体積をはかるようになりました。重さの計量が始まったのは長さや体積よりももっと後のこと。都市国家が発達して貴金属や宝石に価値が生じてからでした。
天秤は人間が最初に作り出した機構をもつ計器で、両腕の長さが等しく、物と分銅を載せる釣り皿をもつもの。その発生の時期は明らかにできないほど古いと言われています。エジプトには紀元前五〇〇〇年以前のものと見られる天秤があり、また古代エジプトの壁画には、鍛治工場で天秤を使ってインゴツトを計っているところが描かれているものがいくつかあります。
◆パピルスに描かれた『死者の書』(エジプト)
古代エジプトのパピルス紙に描かれた裁判図。
天秤は善悪をはかる神の道具とされ、冥界の王オシリスの裁判の広間で、死者の罪業をはかり比べる様子が描かれている。羽毛は地上で最も軽いものとされ、人間の心はそれよりもさらに軽くなければならず、重くなるのは罪のせいだとされている。羽毛より軽い心臓を持つ魂だけが天に導かれるのです。
最初は貴金属や宝石用として用いられた天秤も、やがてその計量の用途を広げ、香料や薬品用としても用いられるようになりました。現在、日本に残っている古い天秤はほとんど両替商用の日本独特の形態です。両替屋とは江戸時代の金融機関。今でいう銀行のことです。貨幣は束洋でも西洋でも重量を定めて作られていたため、天秤と分銅は欠かせない道具だったようです。当時、両替商の看板にもなった分銅の形は、現在、地図上で銀行を表す記号として使われています。
歴史1 ・ 歴史2
はかりの館◆日本編・外国編
【戻 る】
|